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Cool Japan Cool 田舎 -IT系野人への誘いー [エッセイ]

 まもなく防災の日が来ます。

 受験で上京したとき東京駅に降り立った瞬間から、「東京」によどんだ空気というか多少の違和感を感じていた。先に大学に進学した親友に東京を案内してもらい、受験をしながら数日間 半蔵門ちかくのふくおか会館で過ごしたのだが、そのとき住人は、東京は遊びに行くとこであり、住むのは住人には向かない」と感じた。
以来、学会などで、上京する機会があるが、エリアが広すぎること、人が多すぎることなど、むっとする様な熱気など住人には今でも向かないと思っている。

先日、「関東大震災」 吉村 昭 (著)を読んだ。

  この本を読んで、完全に理解したうえで首都圏に住むのは当然個人の自由であると同時に、自己責任であろう。国が何もしてくれないことは今回の震災でよく理解できたはずだからである。

消防力、火災、ライフラインの断絶による2次的被害、情報の寸断、流言による人心の錯乱は、江戸時代より水道などの科学技術、文明の進歩した大正時代のほうが被害が甚大であったそうである。平成の時代に同程度の地震が起こったらと、考えると、住人が心配性なのかもしれないが、背筋が寒くなるどころではない。

住人には住めないと確信した。

震災はいつか来るだろう。来たら大変なことになるとうすうす気づきながら、誰も何も言い出さないのは 原子力村の思考とまったく同じような気がする。

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 関東大震災、東日本大震災と援助の手を差し伸べた諸外国は今度首都圏に大震災が起きて、首都圏壊滅にでもなったとき、どのように思うだろうか。

  震災によって日本人の生き方、幸福観そのものが問われている様に思う。
我が家の患者さんで、退職を期に北九州で暮らし始めた人が多くいらっしゃる。
多くは地元出身のUターンの方が多いが、中には転勤族の方で北九州の住みよさが気に入って、終の住処に定めた方もおられる。

 閑話休題、我が家は対岸の山口の電波が届くので山口のローカルのCMを見ることができる。CMを見ていると、コンサートなど文化的行事のCMが少なくない。
北九州に比べれば経済は小さいかもしれないが、自然豊かな、古きよき田園風景が多く残っており、むしろ北九州よりも文化的レベルは高い様に思う。
  転勤族は別として、首都圏に住むメリットは何でしょうか。参勤交代のあった時代ならともかく、これだけ東京に一極集中する理由はないように思います。
 地方に住んでいても、年に数回程度銀座でお買い物したり、歌舞伎やお芝居見物するのはもはや大儀ではありません。(お芝居そのものが東京で開催される必然性はないと思うし、歌舞伎も見物しようと思えば、博多座があります・・・)
人が多いからビジネスが生まれるのであれば、田舎にも人がもどってくれば、ビジネスが生まれるのではないでしょうか。

先祖代々江戸っ子の方は仕方がありません。でも多くの首都圏在住の方は地方出身のはずです。少なくとも太田道灌が、江戸城を築城する前は地方の一寒村(何故、都は古くから栄えたのに、関東はそうでもなかったのか?、おそらく地理(火山?地震?津波?)に原因があるからでしょう。必ず理由がある筈です。)
  不要不急の人は田舎に住みましょう。風が気持ちよい。生き返りますよ。

 特に、東京大学を初めとした大学が首都圏にあることは疑問です。八王子や相模原くらいの郊外でなく、もっと田舎に移転したらどうでしょう。文化人を自認する人は田舎に住むべきでしょう。
 新聞社、テレビのキー局などのメディア、NTTなどの通信、情報関連の企業は、震災が来た時に機能停止に陥ることは想定の範囲内なのでしょうか。出版業や流通業、保険、金融など多くの企業は首都圏にメインの事業所をを置く必要は もはやないはずです。火薬庫のような京葉臨海コンビナートはそこにある必要性はあるのでしょうか。
ウォシュレットの株式会社(トートー)は本社が小倉だったと思います。素晴らしいことだと思います。

海の幸、山の幸に恵まれ、しかもITで世界とつながっている。
アマゾンや楽天はほぼ何でも届けてくれる。そんな田舎。
何も人里離れた山奥の必要はありません。
なにも宮沢賢治武者小路実篤の描いたような高邁な理想郷をめざさなくてもよいと思います。
先祖が住んでいた里山ちかくで十分です。そこで都会より十分人間らしい生活が出来るように思います。
都心の高層ビルはもはや住人にとって、全然お洒落ではありません。

いざという時は 火だっておこすし、最低限のサバイバルはできる。しかし、都会人と同程度かそれ以上の文化的水準を目指す。そんな”IT系野人”がこれからの日本ではクールだと思います。



タグ:震災 東京
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