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ハイリスクハイリターン再考 [エッセイ]

 筋肉痛である。
毎年この時期、生垣の剪定を行なうのである。何故この時期かというと、植物の都合でなく、これから暑くなり、虫も増えるからというこちら(人間)の都合である。
(やっかいなものを残した親を恨みながら)「いっそ枯れてくれんかいな」とおもいながらバッサリいくのだが、密かな期待は毎年見事に裏切られる。
それにしても、生命力というのはすごいものである。
雑草(あくまでも人間の観点であるが)はむしってもむしっても生えてくると家内を嘆かせている。
なんと肥沃な国土であろう。

さて、巷では節電が叫ばれている。
宇宙から日本を眺めると、まさに不夜城のように明るいそうであるが、慣れとは恐ろしいもので、そのことに、自分を含め現代人は違和感を覚えていないようである。

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嬉野温泉旅館 椎葉山荘

 住人は黙々と生垣と葛藤しながら考えた。
これだけ、二酸化炭素を空気中から取り込んで、切っても切っても茂ってくれる植物をうまく利用できないだろうか。
例えば、所有者が依頼すれば、庭木でも、山林でさっと間伐して、町内(大掛かりにする必要はない。町村単位の小さなプラントでよい。)のプラントに集積して、そのチップをバイオマスとして利用するシステムを作ればよいのである。休耕田など最適地である。
そこには人々の仕事が生まれ、公共事業が生まれ、天下り先が生まれ、おまけにエネルギーが生まれる。
提供者は切った木を処理してもらえるメリットがある。
スポーツジムとエコのビジネスモデルでも述べたが、提供したエネルギーに応じてポイントがもらえれば、必死になってポイントを稼ごうとするだろう。
地域住民は多少ながらも、温水と電気が得られる。自治体はその仲立ちをして、システムを構築すればよい。

こういう話になると必ず、採算やコスト、効率が問題になる。
住人が子どものころ、大里新町(今大きな病院が移ってきた付近)には国鉄(現在のJR)の機関区(機関車トーマースの家みたいなもの)が在った。
今だったら考えられないことだが、父と共に機関区の知り合いを訪問した際に、その人が住人を機関車の運転席に乗せてくれたことがある。
子供心にその図体のでかさには圧倒された記憶がある。
住人が子どものころまでは、まだ、蒸気機関車が普通に走っていたのである。エネルギーとして石炭を焚く、蒸気機関でなんとか世の中が回ってたのである。

それが、なぜ急速に原油、電気に置き換わったかというと、
石油の大量輸入(エネルギー革命)、コスト面で外国産のものに太刀打ちできないなどの「熱変換効率とコスト」の問題で、衰退しただけであり、日本の石炭が枯渇したわけではないのである。
 現在石炭を復活させるとなれば、地球温暖化の観点からは問題であるが、恐る恐る原子力を使うより安全であり、その他の自然エネルギーに転換するまでの「つなぎ」として、国内の石炭を再度利用するとなれば、筑豊や石狩、夕張は俄然元気になるように思われる。麻生さんイッチョがんばってみませんか。

 話が横道にそれたが、巨大なダムにしても、原子力にしても、効率を求めた結果である。
近未来的なシンプルな工場から半永久的にエネルギーを取り出せるとしたら、なんとスマートでかっこいいことだろう、でも現実は津波の上にみじめなまでに破壊された建屋の映像である。

そして、ハイリターンを期待していたのだが、それがハイリスクであることに気がつかなかったのである。
さらに、実はそれがたとえ1000年に一度の震災であったとしても、事故により失うものを考えると決してコストパフォーマンスがよいわけではないことが、今回の事故で解ってきたように思う。

日本の山は急峻であり、小さな河川はたくさんある。
そして、絶えず水は高いところから低いところへ流れていて、位置エネルギーを無駄使いしている。大きなダムでなく、水車小屋や堰くらいの小規模な発電設備を全国の2級河川にまで無数に配置すれば、数の論理で発電機のコストは下がり、しかもそこから生まれる電力は馬鹿にならないはずである。
関門海峡では小型船が潮の流れに抗って、立ち往生するほどのエネルギーをもった潮流がある。
やませや台風による風力はうまくコントロールできれば大きなエネルギーを生むであろう。
全国画一的にするのでなく、地域によって違ったエネルギーの利用を行なえば、リスクマネジメントにもなるだろう。
これらは、既に存在するエネルギーなので、ランニングコストは非常に少ない。
少なくとも、ウランの燃えカス(MOX燃料)からエネルギーを得る研究をするくらいなら、東京の生ごみからエネルギーを得る研究のほうがよほどエコではなかろうか。

人間でもシステムでも多様性こそ、リスク回避であり、単一なものに大きく依存するのは危険である。そして、なにより、 楽して儲ける様なハイリスクハイリターンでなく、小さなことをコツコツ積み上げるやりかたの方が、日本人の民族性と風土にあっているように思う。

そのためには、数年前に、全国に「地ビール」がたくさんできたように、多くの「地発電」が簡単に作れて、自己消費、売電ができるよう、大規模集中型から小規模分散型へ法整備と政策転換をしなければなりません。これは政治家の皆さんのお仕事です。

 日本という国土は非常にエネルギーに満ち溢れた国土であり、今回の事故はエネルギーの変換より、我々の生き方を考え直すよい機会ではないでしょうか。

「災い転じて福と成す」

>>>日本の石炭埋蔵量と自給可能年数(試算)
>>>筑豊炭田
>>>石狩炭田


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