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同じものを視ているのでしょうか [エッセイ]

 住人は大学に入るまで眼鏡をかけたことはありませんでした。
大学1年の夏休みに自動車免許を取りに行ったときに、試験会場で視力が足りないことを指摘され、あわててメガネをつくりに行きました。
視力はそれほど悪くないのですが、乱視が入っているということでした。
裸眼で月を見ると三日月が2個ダブって見えます。
悪いことばかりではありません。花の咲いたサクラの木を見ると、被写体深度の浅いメルヘンティックな写真のようにキレイに見えます。

 メガネをかけてはじめて英語の辞書を引いた時の感動は今でも忘れません。
「ハー 他人はいままでこんなにスッキリ、クッキリ文字というものを見ていたのか・・・・・」

-80b0f.jpg山荘 天水6

 最近では、少し老眼も加わりました。
歯科医にとって目は手と同様に大切な商売道具です。
文字を書くのがつらくなったので、宝田彰氏推奨の拡大鏡やいろいろ試行錯誤をしました。試行錯誤の結果、
車の運転や講演会のスクリーンを見るときは従来の遠くを見るメガネ、通常部屋でテレビを見ながら新聞を読むといった時にかける中近両用メガネ、パソコンやオペで近くを集中してみる近距離用メガネ、そして今まで用いていた、歯科医用拡大鏡におさまりました。

 先日、駄犬を散歩させながら、明けの明星を見ていてふと思いました。
自分独りでもこれだけ条件(メガネのかけ方)で見え方がちがうのに、本当に他人と同じものを見ていると言っていいのだろうか。
同じりんごを見ても、滝を視ても、同じ仏像を観ても本当に同じものを見ているとどうしていえるのだろうか。
と気がつきました。

遺伝学的な目の能力もいろいろ、脳の能力もいろいろ、
生まれてこの方の育てられ方、境遇、人生そのものが誰一人同じではないでしょう。
視る能力、見たものを認識する能力、物事の脳みそによる捉え方、それぞれ人により異なり、そのことが個性であるとも言えはしないだろうか。

 だったら、情報の共有、共通認識、常識なんてないのかもしれない。

ひょっとしたら満開のサクラを苦々しく思って眺めている方もいるかもしれません。

 ヒトとは話が合わなくて当たり前、「解ってもらっている」と勘違いするからトラブルが起きる。
相手の常識と自分の「常識」が一致していると勘違いするから、トラブルが起こる。

自分とは全く違う認識、価値観である相手のことを認めるところから、
つまり自分の考えとは違うけど、そういう違った考えも「有り」よね、というところからお互いの 意見をすり合わせていかないといけないんだな。
 巷で最近よく言われている「想定外」という言葉は免罪符のように使われているが、想像力の貧困さを自ら吐露しているにすぎない言葉ではなかろうか。

 震災や原発事故の被災者の方の気持ちは当事者でない限り、完全に共有できないでしょう。
解らないからこそ、最大限の想像力を働かせて、少しでも解ろうと努め、しかも、その想像以上であろうことを踏まえて思いをはせる必要がありそうです。

 

 


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