恩師の教え [エッセイ]
入学式のシーズンです。
住人は小学校から高校まで本当に先生に恵まれました。そして多くのことを教わりました。
特に、小学校の頃、担任の先生から、授業中に話が脱線して、いろいろな話をうかがいました(現在の教育指導要領にはまず載ってない内容でしょう)。
自分の母親のような先生から、戦争体験、昔の話、などいろいろなことから、
はさみの渡し方、電話のきり方、ヒトへの思いやり・・・人間としての生き方、マナーを躾けてもらいました。
生きることの大変さ、だけど人生の楽しさ・・・などを具体的な言葉でなくても、人柄やさりげない行動からにじみ出る雰囲気の中で教えて頂いたように思います。
話は変りますが、
「母乳で育てましょう」といった講演をすると必ず、
「自分は母乳で育てたかったのに・・・そういう弱者に対する配慮が欲しかった・・・」という話がかならずでてくるそうです。
確かにお気の毒な話ですし、配慮が足りないのが悪いのでしょう。
でも話すほうも、そんなに人格者ではありません。人に比べて、ちょっと専門知識を持っているだけです。
しかし、人前で話すとなると、人格もあわせて求められます。
そういわれだすと、神様以外は情報を発信するのが大変になり、あまりものを発言しなくなるような気がします。
現代は少数の例外的なヒトを傷つける事を恐れて、結果として大勢の普通の人に有効な情報が届かなくなっているような気がします。当たり障りのない、ためになるわけでもない、ライトな情報が世間や学校を覆っているような気がします。
親子の話をすれば、必ず親のない子への配慮が求められるでしょう。
働くことの話をすれば、必ず今親が失業中の子供への配慮が必要になるでしょう。
健康の話をすれば、必ず先天性の疾患などを抱えた子供への配慮が必要になるでしょう。
戦争の話をするときに政治色抜きで話をするのは容易ではないでしょう。
宗教色抜きで歴史の話をするのは困難が伴い、面白みに欠けるものになるでしょう。
人間は動植物を殺傷して生きていること、
その動植物達への感謝の気持ち、
家族の大切さ、
人生の困難とその先にあるであろう楽しみ、
宗教的な話、
このような重たい話は教室でするのは現代の教室ではさぞ大変なことでしょう。
そして、現在、親になろうとしている人も既に、そのような話を聞かされることなく育ってきたのではないでしょうか。
ただ、
みんな平等です。
人には優しくしましょう。
戦争反対、弱者救済
と教えられたかもしれませんが、具体的に社会の中で、どう折り合いをつけて世間で生きていくかといったお話を今誰が、どのようなかたちでしているのでしょうか。
今の子供たちはみな素直でいい子ばかりです。決して子供たちに問題はないように思います。
容易に折れる心、すぐ切れる心、家庭崩壊、
そのような原因は教育、情報の断絶にあると思います。
伝統的なものが良いかどうかは別として、伝統的なものは切り捨てられ、
かといって
新たな考え方や方策は提示されていないままのような気がします。
そして今の結果は良いのでしょうか。ここ数十年の教育は間違ってなかったのでしょうか。
恩師からの教えは、教科の内容より、先に述べたような、先生の人間性が表に出た雑談のほうが圧倒的に、住人の心に残っています。
教育とは難しいですね。知識を授けるのであれば、コンピューターでもできます。
ヒトを育てないといけないんですものね。
住人は本当に先生に恵まれましたし、感謝しております。
今の時代の先生!応援してますよ!日本の国を救うためにがんばってください!。