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理想と現実の狭間で2 [エッセイ]

 集中治療室で父を看取った住人には 前回紹介した「病院で死ぬということ」はあらかた想像していたことではあるが、お医者様による書籍なので、かなりインパクトがあった。1990年発行であるので、20年以上前の話であり、現在のガン医療の現実とはかなり異なるのかもしれない。また、著者が訴えたかったところと異なるところに住人が引っ掛かったのであろう。しかし、まだかなりこたえている住人である。

以下は、ブログの内容としてはふさわしくないのかもしれないが、現実に向き合えば、「死なない人」はいないはずである。住人の基本的考えとして、「生きてこそナンボ」という考えが変わるものではない。気分を害される方がいらっしゃったら御免なさい。浅はかな罰当たり人間の戯言と捨て置いてください。

この本を読んで住人は考えた「そうだ、余命1ヶ月と言われたら、結婚式の披露宴の2次会の様に、生前葬を自分で企画して、来てほしい人に案内状をだそう。」

 

 2496844山口県龍蔵寺

  ひな壇よろしく しつらえたベットに住人が点滴を受けながら、釈迦涅槃図の釈迦のように横たわっている。
横には最高に美人な看護士さんと、医師が診てくれている。

自分も含めて、来てくれたみんなとドンちゃん騒ぎして、それで2~3日寿命が縮まってもOK

  死んでから、いろいろされるより、生きているうちに御礼を申し上げたい人もいるし、最後に挨拶しておきたい人もいる。
 思い出話に花を咲かせながら、最後の晩餐を気のおけない人と過ごしたい。お義理で来てくれている人もいるだろうし、ダラダラやっては野暮ったいので、時間は2時間。記念撮影をして、最後に御礼の挨拶をして、「またね」と言って会をお開きにする。

あこぎな住人は 自分の生き様は棚に上げて、「あいつは案内状出したのに、来んやった、」とか「あいつはケチやけこれだけしか包んでいない」とかブツクサ言っているかもしれない。御礼のつもりで招待しておいて最後まで器の小さいのは治っていないかもしれない。
こんな性格だから絶対、地獄直行であろう。

「天国よいとこ一度はおいで 酒はうまいし ねえちゃんはきれいだ  ワー ワー ワッワー;帰って来たヨッパライ;by:ザ・フォーク・クルセイダーズ」だそうだが、地獄でOK。
だから、延命処置はせずに、絶命したときはそのまま24時間放置して、火葬場に直行していただいてよい。初七日も49日も不要である。

これが住人の理想である。
けれども ポックリいったらこの企画は無理である。
あと、家族、親族が許してくれるかどうかである。
 住人の経験からすると、葬儀、法事は故人のためのものでなく、残された者の都合である。ひっそりと家族だけの密葬の方が周囲に迷惑をかけないだろう。
法事も残された親族の気持ちの整理として、最初は故人を偲んでもらうのはよいが、7回忌、13回忌となるとどうなのであろうか。

 いよいよ切羽詰ったらこんな能天気なこと言ってられないだろうし、忍び寄る死の恐怖と対峙しなければいけない。残す家族(がいればの話だが)のことも考えないといけない。
住人の考えていることとは逆に、これはまだ元気で生きているおばがよく口にすることであり、なくなった父も言っていたことであるが、「同級生や姉妹がなくなってゆく中で、生きてゆくことは寂しい限り」だそうである。きっと現実はそんなに甘くないだろうと思う。

「生きてこそナンボ」という住人の基本的な考えは変わらない。今が大事なのであり、生き様が大事であり、死んだ後の事まで考えてもしょうがない。

龍蔵寺


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