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夕餉(ゆうげ)の団欒(だんらん) [エッセイ]

 昔NHKのドキュメンタリー番組で「新日本紀行」という番組があった。
高度経済成長期に、日本の各地の昔からの風俗、習慣、人々の生活を紹介しながら、時代の流れとともに変化する様子も伝えていて、子供心にも何となく感傷的にさせられる番組であったが、住人がちょっと変わった子供だったのか、大好きな番組であった。見るもの全てが自分の未知の世界だったからである。
そこで紹介される町や集落は多様性があった。

 近年、どの地方も風景はどこへ行っても同じになった。
中心地は大型スーパーがコアをなしていて少し離れた郊外のバイパス沿いにはファミレスや家電量販店などが並んでいる。
昔ながらの商店街は寂れてしまい、駅前の一番目立つところは消費者ローンの看板が立ち並ぶ。
農村地帯でも、農協や漁協の周囲の信号機のあるような人通りのある中心地には何某かのコンビニエンスストアーとガソリンスタンドがある。

日本どこに行ってもほぼ同じような町並みなのは、残念なことだが部外者には解り易いし便利である。
どこへ行けば何があるか大体想像がつくからである。

 けれども住人が感心するのは(現在では限界集落が増えているというが)、どれほど田舎の山奥にでも集落があり、人の営みが存在することである。

2386294美保関港

 特に夕方から夜にかけて、列車や自動車で移動する時に暗闇と暗闇の間に時々現れる集落の家々からもれる光を車窓から眺めるといつも思うのだが、 無数の星のように散らばったそれぞれの光の下に夕餉の団欒の光景があり、それぞれの家庭の生活がある。

お父さんとお母さんと子供たち、場合によっては じいちゃんとばあちゃんも加わって、多分お笑い芸人のバラエティ番組を見ながらゆうご飯を食べているのだろうか?
お父さんは刺身を肴にビールで一杯やっていて出来上がっているかもしれないし、子供たちはそれぞれのハンバーグの大きさに文句を言いながらも 今日の出来事を報告しているかもしれない。
住人のイマジネーションはどんどん膨らむ。
それぞれの人たちは たまには歯医者さんにかかることもあるだろう。
小学生が学校検診の紙をもらってきて、その話題になっているかもしれないし、今日の歯医者さんでの出来事を話題にしているかもしれない。
(住人はどんな時でも歯科のことを考えてしまう悪い癖がある)

そんな当たり前のことではあるのだが、どこに行っても人家があり、そして家から光が漏れているのを見るたびに 日本中津々浦々にそのような人間の生活があることを再認識し、妙に感動する。

 これは 住人の旅先でのへんな感傷だけでは説明できないものがある。
観光地と観光地の間の日本のそのような平凡すぎるような風景が大好きである。
「日本狭し」といえども 意外と広いし、多くの人が太古の昔から現在まで日々生活している。


 

美保関


タグ:旅行 日本人
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