SSブログ

仏像は博物館で見るよりも現場で見るに越したことはない [見仏]

 奈良の薬師寺を訪れたときのことである。駐車場の入り口のおじさんに「日光、月光さんは今東京に出張中(国宝薬師寺展)ですがよろしいですか?」とたずねられた。
当方としては東京国立博物館で国宝薬師寺展が開催中であることを承知していたので、「かまいません」と入れてもらった。

よく、お寺の大改修にあわせて、博物館などで特別展が開催されるが、我々地方に住む下々の者にとって、ありがたい仏様などを身近に拝することが出来るので、大変ありがたい。
仏様にしてみれば、言葉は悪いが自宅のリホームのために地方巡業しなければならない心中いかばかりかとお察しするが。
 もちろん多くの仏像は実際のお寺にお参りしても宝蔵庫に祀られており、博物館でお目にかかるのとあまり変わらない環境なのであるが、住人は仮にご縁がなくてお目にかかれなくても良いので、出来れば現地(お寺)に参拝したいと考えている。

DSC_7429 (Small).JPG
薬師寺

 仏像を注意深く観察するのであれば、博物館や、場合によっては写真集などのほうが有効である。極端な話、秘仏などは写真などでしかお目にかかれない仏様もあるからである。
ところで、住人など実際にお寺におまいりすると、仏像というより、金堂など、仏像の祀られていたお寺の建造物、そのお寺が立っている場所の気候、風土、もっと砕いて言えば取り囲んでいる空気や、お寺をお世話している人などから、感銘を受けることが多い。
土門拳が撮影していた頃の室生寺とは門前のおみやげ物屋の雰囲気は変わってしまったかもしれないが、そこにいたるまでの地形や山門を一歩入った寺内の空気はずうっと昔からの室生寺を俗な住人でも容易に想像出来る。
 それぞれのお堂でお目にかかる諸仏はやはりうまく表現できないが、オーラがすごいというか、思わず手を合わせてしまう。防府市の周防国分寺などは、(住人がお参りしたのは2005年で、大改修が終わった後だったが)、境内は昔から比べるとかなり小さくなっているそうだが、瀬戸内海の温暖で柔らかな気候や周囲の地理、そして丁寧に、そして誇らしげに寺仏の説明をしてくださった世話人らしきご老人から周囲の人たちのお寺に対する思いなどが伝わってきた。
こんな感じでズーッとここに立ち続けて、人々から尊崇されてきたのだろうなと思った。罰当たりな住人は心の中で、「あんたやっぱすごいなー」と仏像に語りかけている。奈良県の長谷寺のように門前にズラーッと並んでいるおみやげ物屋のご主人などを見ても、「なるほど昔からこの方たちは連綿とこうやって参拝者を相手に生活を営んでいるんだな」などと思うと変に感慨深く思える。

そのお寺にいたるまでの道すがらの雰囲気やお寺の周囲の空気、たとえ、宝蔵庫の中の仏様でも、もとあった金堂などに立つお姿をイメージすれば、それら観音菩薩や薬師如来などが古来より人々の心を救ってきたパワーを感じることができ、住人を納得させるというか腑に落ちるというか、自然と頭を下げて、手を合わせるのである。
織田裕二流に言わせていただければ「仏像だって、事件は会議室でおこってるんじゃない! 現場でおこってるんだ!」

 

薬師寺


タグ:仏像
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。