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みんな同じ日本人? [エッセイ]

 今日はお盆である。帰省して高校野球や北京オリンピックをご覧になっている方も多いとおもいます。
住人は生まれも育ちもというより、先祖代々ここなので、母の実家以外帰省先というのはない。
住人の周囲は旧国鉄(現在のJR)などに勤める他地域出身の親を持つ友人が多く、盆正月の帰省シーズンには帰る田舎のある友人は子供だった住人には羨ましかったものである。

閑話休題、オリンピック(近代オリンピック)といえば、多くの国が集まって国の威信を賭けたスポーツの大会である。
国といっても、中国や合衆国などはさまざまな宗教、多くの民族の構成員からなっており、一方日本は単一民族であると言われている。
日本も古代にはさまざまなルートでアジアの東端に流れついたさまざまな民族が混じっているのであろうが、現代では 琉球やアイヌの人たちや在日の方などを除けば、おおかた徳川幕府の力が及んでいた地域は同じ体形、気質、単一民族だと自他共に考えているのではないだろうか。
住人もなんとなくそう考えていた。
以下は住人の感じたあくまでも私見である。

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第21回海峡花火大会2008.8.13 

 先月鳥取から島根まで見仏かたがた遊びに行ってきた。(後日機会があれば報告させていただく)
そこで、「ここは男も女も顔つきからして住人と民族が異なる」ということを感じた。都心周辺部はもちろん、都心部でも地元の人しか行かないようなところ(何とかの湯や地元の回転寿司)ではこちらが異邦人であると明らかに判るほど、私以外の周りのヒトは同じような風貌である。
「何とかの湯」では当然男の裸しか見てないのだが、体重や身長の違いはあるものの、子供も成人もご高齢の方も住人の目には自分とは明らかに違うけれどもまわりのみんなは同じ民族だなと思ったのである。
回転寿司で順番待ちしている家族ずれなども、みんな同じ顔に見え、そのかもし出す余裕みたいな感じに、「これが、神話の時代から天皇を中心とする中央政府と距離を置いて、誇りを持っていた出雲国の「出雲人」(筆者造語)なのかなと思った。

回転寿司の順番を待つ間、周囲の人たちを見ながら、「なぜこんなに異質感を感じるのだろうと自分なりに考えた。

結論はこうである。
鳥取、島根は神代の時代以降あまりヒトの流入がなく、固有のDNAが薄められることなく維持されているのではないだろうか。
そして、現在でも人の流入があまりないため、現時点での人口構成を見てもその特徴が薄められていないのではないだろうか。そのため住人がその中にぽつんと投げ入れられると、異質性が際立てしまったのではないだろうか。
一方住人の住む北九州でそんな感覚にならないのは、もちろん住人がその構成員の一人であることが大きい。
しかしそれ以外に、北九州は明治まではさびれた寒村だったところに多くの人たちが他地域から流入してきて工業都市を形成した点が他の工業都市とも異なる。地元人はほとんどいないところに、多様な人間が明治~戦後~現在に至るまで流入し、多くの多種多様な人間によって構成されている為、顔つきもその地域の特色が薄れ、大きな意味での日本人といった「くくり」しか出来ないくらい、異質なものが混ざって構成されているのではないかと考える。
小学校のときなど、先ほども述べたが、さまざまな地域の人間から構成されているため、(地元民のほうがむしろ少数派である。)話し言葉にしても(生粋の地元民には方言があるが)小学校などでの話し言葉は標準語に近かったような気がする。
(この点博多など、昔からかなり人口を抱えていた都市とは異なる。)

多分島根県の人が北九州にやってきても、北九州が多くの人種によって構成されているので住人が島根で感じたような異質感は感じないはずである。
単一民族国家か、複合民族国家のどちらが良いとか、島根が良いとか北九州が良いとかいった類の話ではない。
世界的な視点で「日本人」といった話であれば、同質な人間として話にあがるかもしれないが、その日本人もミクロ的に視点を変えれば、決して同質ではないと思われる。
住人が島根で感じた出雲人は明らかに住人とは異質に感じられたが、その出雲人に北九州で出会ったらそのような異質性は感じなかったはずである。

「最近の若い者」といった「くくり」や「同じ人間同士分かり合える」といった「人間」という「くくり」も同様なことがいえるのではないだろうか。
物事の議論をするときに言葉で物事をくくらないと(分類、区別しないと)議論にならないのであるが、前提条件やくくり方によって話はずいぶん変わってくるものである。

本日の住人が考えたこと、
「日本人とは」とか「日本は島国で、単一民族で」といった、「くくり方」がある。議論のレベル(オーダー)にもよるのだが、ひとくくりに出来るほどこの国は単純ではない。でもKY(空気が読めない)だとと非難されるようだが、今の日本はそんなに簡単に空気が読める国なのであろうか。だからこそ、お互いに空気を読もうとする努力をすることには大賛成である。

これから住人は例年通り、父母を送るために不法投棄になるかもしれないのだが、精霊流しの準備をしようと思う。

 

参考HP
http://homepage2.nifty.com/wayway/jiten-izumoshinwa.html

 

 


タグ:日本人 民族
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