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日本の農業と食について [エッセイ]

 ゴールデンウィークのこの季節になるとそろそろ田植えの準備のころではないでしょうか。また、全国の道の駅などでは野菜売り場がにぎわっていることと思います。最近住人は 子供たちが「いかに野菜などを作るのが大変か」理解するために、家庭菜園をまずはコンテナから始めました。
住人の祖父の代までは農家だったし、母の実家も農家でした。住人も小さいころは自宅から程近い山に竹の子を掘りに出かけたり、親戚の田植えや畑仕事の邪魔をしたりしていました。秋には熊本の伯母のところでみかんちぎりの手伝いをよくしたものです。
小さいころはこの辺でも、行商のおばさんが鮮魚や干物を缶に入れて家まで売りに来たりしていたものです。母に連れられて買い物に行くのも昭和45年ころに地元スーパーやダイエーができるまでは、近所の市場でした。住人が子供の頃はりんごやみかんなどは別として、野菜など食べるものは近場で取れたものが多かったような気がします。

 流通が発達してから何時のころからかかなりの距離運ばれてきた食材を疑問を持たずに口に入れています。 中国製ギョーザ問題が起きたときに住人は「とうとうくるときが来た」と思いました。というのも今までにも
・ 日本の農業の問題
・ 食の安全性の問題
・ 食料自給率の問題(食糧安全保障)
・ 食文化の問題(旬、郷土料理)
・ 自然環境と農業の問題(水問題、フードマイレージ、)
など今ほどマスコミで騒がれないまでも徐々に深刻化していたのです。今の農業はほぼ高齢者が支えていて、どこも後継者がいないそうです。このままでは日本の農業は壊滅的に破壊されてしまいます。まだ今なら間に合うかもしれませんが日本の農業が壊滅的に破壊されてから、中国製ギョーザ問題のような事件が起こってももうあきらめるしかありません。

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すでに前例があるのですが、いまから約35年ほど前、米国が「大豆輸出禁止」を宣言して、世界中が大豆ショックに見舞われました。現代の日本人も覚えている人は少ないかもしれません。食糧供給国がさまざまな理由で食料の供給をストップすると、自給率の低い日本はたちまちパニックに陥ります。問題がある食品でも輸出してもらえるうちはまだましです。

 なぜ食料自給率が下がったのでしょう。現在多くの大手スーパーは他の商品と同じ発想で、大量消費型社会に対応すべく、まずは安く、規格大量生産で、しかも安定供給できるところと取引します。その多くは商社が絡んだ海外からの品物になります。たっぷりガゾリンを使って輸送された商品なのです。それでも人件費などのコストの安い海外生産商品には日本の農業は太刀打ちできません。海外との競争に敗れ、しかも国内の他の業種と比べても所得が少ないため、結果として日本の農業を担う人材がどんどんいなくなったのです。そして「旬」と言う言葉も死後になりつつあります。

安岡正篤先生は 養生と養心のなかで、「世界を駆けるエリートは肝臓にご注意」と題し以下のように述べられております。
前略・・人間と言うものは、・・・飲み食いと言うものは、なるべく住み慣れた土地にできる季節のものを摂るのが、一番妥当かつ合理的だそうであります。緯度や経度、距離や季節の変わったものは、やはり我々の生理機能を違和に陥れる。つまり調和を破壊する。・・・後略
この文章は世界を飛び回ることで、自分の体質に合わない食材を口にすることに警鐘を鳴らしているわけですが、現在では我々は日本にいながらにして世界中から集まった食材を食しているわけです。
冷凍食品は安くて便利ですが、海外の各地で収穫された食品を海外で加工されたものなどもはやどこの国で作られたものか把握することすら無理があります。
安岡先生のスジからすると、九州の人間は九州で取れた米を食べることが体によいと言うことになります。
いわゆる地産地消の勧めになります。地産地消はフードマイレージの観点からも取り入れられるべき概念だとおもいます。

 先ほど挙げた問題を解決するにはどうすればよいのでしょう。
答えは簡単です。食料自給率を上げるためには今の逆をすればよいのです。
都会で生活している若い人たちが魅力に感じるくらいの所得が農業で得られるようにすれば農業にたずさわる人たちは自然と増えます。そのためにはまず皆さんが日本の野菜をそれも、地場の野菜を購入することです。
地元の非規格的少量生産の零細農家が生活できるように消費者のみなさんが地元の農家が作った農産物を買えばよいのです。そのためには小売の八百屋さんが地元の農家から直で商品を仕入れることが出来るシステムを作る必要があるでしょう。そうすれば零細農家、零細小売店にも生き残る道が生まれます。
多少コストは高くなるかもしれませんが、地球環境、日本の自然を守り、自立した食糧自給国になり、国民が安全な食材を口に出来るようになるというより大きなメリットがついてきます。
いずれにしても消費者が変わらないと無理です。

 住人はグローバル経済社会を否定し経済ナショナリズムを推進するつもりもないし、世界的な流れには逆らえないと思っていますが、日本人の幸せを考えたときに、みなさんが地元で採れた野菜や穀物を地元の八百屋さんで買って食べることに日本にとってのデメリットはないように思われますがいかがでしようか。

>>>お勧めの1冊;山下惣一 「食べものはみんな生きていた」


>>>世の中のからくりについて考える1~「本物の時代」~


)安岡 正篤 (著) 運命を開く―人間学講話 (人間学講話)

タグ: 農業
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