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記憶に残る仕事 [エッセイ]

 住人は神社仏閣や仏像見物に時々出かけます。
決して信心深いからでなく、ただ単に昔から綿々と残っているものに尊敬と畏怖、憧れといった感情があるからです。
写真は尾道の浄土寺本堂で、平成十八年の再興七百年という記念法要の朝に撮影したものです。
1323年建立ということですから、鎌倉時代より物理的にこの世に存在し続けている構造物って「すごい」とお思いになりませんか。「不遜な、罰当たりが・・・」といわれるかもしれませんが・・

尾道 浄土寺金堂 2006.5.3

いっぽう住人の天職である歯科の分野は決して今後も歴史には登場しないであろうし、残らない仕事です。数百年の歴史をかいくぐることはないどころか、人々の日々の刹那の営みの中にある業です。
喜んでくれるヒトがいて、しかも感謝の笑顔を見せていただける、やりがいのある仕事だと思っていますので何の不満があるわけではないのですが、プロジェクトXに出てきた人たちや瀬戸大橋などこれから何百年も残るであろう建造物作りにほんの少しでも参加できたヒトを男として少しうらやましく思います。子供たちに「お父さんは○○を作るのに一役買った」と自慢できるじゃないですか。

 時々他の病院で治療されたものですばらしい治療を目にします。住人はそのような時は努めて患者さんにすばらしい治療であることを伝えるようにしています。しかし悲しいいことにすばらしい治療がされているにもかかわらず、いつどこで治療したのか覚えてらっしゃいません。歯科に対する関心が低いからでしょうか?まじめに地道にやっている先生の影が薄いからでしょうか?歯科に携わる者として悲しいことです。

 松浦昭次さんによれば和釘(わくぎ)という鉄製の釘は中世までの釘は出来がよくて、それ以降悪くなっており、江戸時代以降に製作された釘は特によくないそうです。
つまり、技能は時代によっては退廃することもあり、常に進歩しているとはかぎらないわけです。そして技術の進歩が、素人でも簡単に作れるということをもたらしても、必ずしも製品そのものがよくなっているかどうかはわかりません。
 歯科治療にたとえると、入れ歯などで「昔の先生の仕事のほうが理にかなってないにもかかわらず、患者さんはなんとなくしっくりきてた」ということがあるかもしれません。
医科とちがって、理屈はともかく、職人芸も求められるのが歯科であると思います。
「平成の歯科医はレベルが低かった」なんていわれることのないよう、住人も謙虚に研鑽し続けなければならないと思います。
 物は残りませんが、皆さんに喜んでもらうことで、皆さんの記憶に残る仕事がしたいと思う住人であります。
 

宮大工千年の知恵―語りつぎたい、日本の心と技と美しさ (単行本)
松浦 昭次 (著)

 

浄土寺

 


タグ:歯科
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