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みんな 阿蘇神社の御朱印 ゲットにgo! [エッセイ]

 御朱印帳がブームである。少なくとも住人の中では。
昔は、住人はそれぞれの神社仏閣でお守りやお札を頂いていたのだが、そのお守りやお札を粗末にならないように保管しておくというのは思いのほか大変である。
神様の上下関係や、仲の良しあしなど考えると、お札を納める順番、位置など考えたらきりがなのだが、挙句の果てにはほこりをかぶった状態になっていて、正月のどんど焼きのときに神社に持っていき、炊き上げてもらうということになる。
御朱印帳の場合、現在では、御朱印帳袋なるものがあり、それに納めて、神棚にお供えすることで、粗末にならずに済むと、住人なりに考えている。住人は、奈良県吉野郡天川村坪内にある天河大弁財天社の袋を愛用している。

 観光寺院などの場合、授与所にずらーっとカラフルな御朱印帳に番号札がついて列ができ参拝前にお願いし、参拝後にいただいて帰る、というシステムのところも多い。
若い女性の列に並ぶのは気恥ずかしさを感じることも多々ある。
 御朱印をいただく場合、たいてい300円くらいをお納めして、頂戴する。たいした額ではないのだが、1日に10か所など回れば、駐車場代などとともに、住人にとっては結構な額になる。
しかしながら、生身の人間が、その場で書いてくださるのであるから、寺院側の立場で考えると、全くわりに合わないことであろう。
一方、地方の神社仏閣の場合、人生の深みを感じるご高齢の方(たぶん寺院のモリをしている地元の方など)が、心を込めて書いてくださり(観光寺院でも心を込めてくださっているのだが)、世間話をひとしきりした後で、戴くこともある。
そんな、ブームを「スタンプラリーと勘違いしている」と冷ややかにご覧になっている向きもあるようだが、住人はそうは思わない。

DSC_9263 (Small).JPG比叡山

 明治以前、神社仏閣は 都の大寺院も里の小さな社も、ときの権力者や大名、豪商、豪族などの支援に支えられていた。
このへんでも、小笠原藩から庇護されていた寺院(→静泰院)とか、修験者(→求菩提山の衰退)などが多かったようである。
ところが、明治になり、明治政府は日本文化にあまり関心がなく、時の大名などの没落に伴い、寺院への支援は滞ることになる。
時の権力に支援された、神社は保護されたが、特に寺院や修験道の聖地などは察して余りある困窮ぶりであったようである。

現代では、行政に国宝や、重文、県や市の指定を受けた文化財を有する寺院は、多少なりとも支援を受けるのだが、果たして昔の大名ほどの支援の規模になっているのだろうか。

さて、日ごろ御朱印をいただきながら、思うことがある。 蟻の熊野詣でではないが、一人一人の納経のための額は微量かもしれないが、多少なりとも、それで、寺院のお役にたてるのであれば、決して悪いことではないのではないだろうか。自分に御利益があるのは当然なので、御朱印の趣旨とともに、ここでは省く。
何よりも、知らないこととして済ませるよりも、老若男女が、日本の歴史や宗教に関心を持ち、現地へ赴き、心を込めて、御朱印を頂戴することはそんなに悪いことではないのではないだろうか。
300円×100万人=3億円になる。

今回の熊本地震(2016年(平成28年)4月14日21時26分以降に熊本県と大分県で相次いで発生している地震)で被災した阿蘇神社(〒869-2612 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1)は再建には10年かかるとみられ、具体的な道筋は見えていない。再建には20億円かかるという。

 この夏みなさん阿蘇へ行って、御朱印とお賽銭で、阿蘇の神様に日ごろの平穏無事を感謝し、また今後の平安をお祈りしようではありませんか。
1000万人がお参りすれば、どうであろう。足りるであろうか?

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御朱印帳

御朱印帳袋


タグ:御朱印
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