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利他の心 [エッセイ]

 毎年知人から海峡花火大会の協賛席を分けてもらう。今年は子供が友達と行くことになったのだが、帰りの混雑を回避して、速やかに子ども達を帰宅させるために、日ごろの罪滅ぼしをかねて、近くで花火大会が終わるまで待機することになった。
はなから花火見物は二の次なので、花火の絶景ポイントではない岸壁の適当なところを見つけ、折からの猛暑の中、三脚を準備して、陽の沈むのを見ていた。

「ここから花火が見えますか」、一人の父親らしき男性が近づいてきた。家族のためのベストポイントを探しているのだろう。いつもオヤジは家族のためにけなげである。
「下関の花火は見えると思いますが、門司側の花火はあっちの方向ですから建物の陰になって見えないと思いますよ」とこたえた。

しばらくすると、その男性が家族を連れて住人の隣にシートを敷き始めた。
男の子二人と、3歳前後だろうか小さな女の子とその母親のようである。
住人も経験があるのだが、子供が小さい時はベストポジションとは子供がごねだしたり早く帰ろうとなったときに動きが取れるところであり、ベストビューポイントである必要はない。

しばらくするとお兄ちゃんたちと、お父さんは他の場所を探索しに行ったのか母親と女の子だけが残った。
  人みしりの住人は一人海を眺めていると、ちょこちょこと女の子が近寄って来て、「ハイ」とキャンディを勧めてくれた。
「わー、ありがとうネ」と言いながらも「ごめんね、おじちゃん(心は青年のつもりだが・・・)なにもお返しするものモッテないんよ・・」
母親が差し向けたのは間違いが、むろん最初から見返りなど期待してないだろう。
引越し蕎麦的な、「ご迷惑おかけするかもしれませんが宜しくお願いします」的なご挨拶だったのかもしれないが、そうすればとなりのおじちゃんが喜ぶだろうというのが、動機であることは間違いないだろう。
いずれにしてもこういうサプライズなご厚意は嬉しいものである。
 母親に目をやると、しっかりした聡明な顔つきで微笑んでいる。
近年、自分が楽しむことを第一に考えて、お正月やクリスマスパーティーをする主婦もいると聞くが、 「あ、この家族は大丈夫、きっとこの子供たちも立派な人間になる」と、とっさに確信した(誠に勝手で大きなお世話でるが)。
いずれにせよ、今日、このような交流が少なくなってきたように感じる。

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 満潮になりつつある波間に写る夕日をみながらいくつかの想い出が甦った。私ごとである。
その一つ。
以前も書いたかもしれないが、大阪万博の時のことである。、父親の知人が、急にキャンセルが出たか何かで寝台特急で万博を見に行くという団体旅行のツアーの話を持ってきてくれ、自分と母親が行くことになった。
何もかもが物珍しくなつかしい思い出なのだが、 そのツアーというのが至れり尽くせりで、会場で食べるおり弁当などまで用意されていた。
お弁当を広げようと適当な場所に陣取ったのだが、われわれは朝からいろいろ胃の中に詰め込んでおりとても食べられそうにない。
すると母親が、どこから来たのかわからないが、自家製のお弁当を広げていた見ず知らずの家族に、「宜しければ召し上がりませんか、わたくしどもはもう食べられませんので・・」と、弁当を差し上げた。 薄暗がり状態の中で、喜んでいただけたかどうかは定かでないが、受け取ってくださったのは間違いない。
今であれば、見ず知らずの人間に差し出す人もどれだけいるかわからいし、受け取る側もいぶかしがるかもしれない。 当時は 高度経済成長に沸きながらも古き良き日本がまだ残っていたように思える、よい時代であった。

もう一つは頂いた思い出。
受験で上京した新幹線の中でのことである。
車窓に眼をやる学生服の自分は、どこからどう見ても受験生である。
受験がどうのより、新幹線に乗り、ひとり、鬼が出るか蛇が出るかわからない東京(かなり大げさであるが・・)へ上京することは住人にとってかなりストレスフルなことであっただろう。 きっと、顔にもそれが出ていたに違いない。
すると、
途中から乗ってきた隣の席の女性が車内販売のコーヒを「よかったらあなたもどうぞ」と、わざわざ買ってくれたのである。 上手なお礼の言葉もろくに話せないまま、ホットコーヒーを頂いた。大げさであるがそのコーヒーの温もりにほっと、「世の中鬼ばかりではなんだ・・」と感動し、自分もいつかそんな大人になりたいと思ったものである。そのコーヒーの味は今でも忘れられない。
上京最大の収穫であった。

 これらのことは受け取る側がどう受け止めるかに依るのだが、上から目線の「施し」とはかなり違う人との交流の一つだと思う。
人の嫌がることをしない。見返りを期待しないで、他人の喜ぶことをする。
言うのはかんたんだが、実際実行するのは難しい。

花火が始まり、住人はレリーズのスイッチを押している。
父親も母親もそれぞれのスマホで写メを撮っている。
よこで、例の女の子は花火にさほど関心がないようで、「おにいちゃん!、らるまさん(言葉がまだ正確にあやつれていない)がころんだ、しよう!」、と無邪気にはしゃいでいる。お兄ちゃんは嫌がらず付き合っている。

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花火が終わり三脚をたたんで、帰り支度をしながら、ふと隣に眼を持って行くと、すでに、お隣さんは帰った後だった。

クーラーの効いた車に子どもたちをピックアップすると、珍しく、「今日はありがとう」と予期せぬ言葉 。
照れ隠しもあるのだが、今はやりのドラマの決めぜりふをもじって、「この借りは10倍返しやけね」と言ってしまう住人は、 まだまだ修行が足りない。

今も、カメラバックの中には女の子のくれた小さな「アメちゃん」が一つ残っている。
ほのぼのした暖かい嬉しい余韻の残ったよい花火大会であった。

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