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歯科医とマイクと影響力 [エッセイ]

  住人も大学時代から様々な恩師のご指導を受け、薫陶を受けてきた.住人は一介の市井の歯科医であるが今の自分があるのはこれら多くの先輩方のお陰であり、改めて言うまでもなく、大変感謝している。そして、若いときは多くの先生の講演を聴いて回った。
がむしゃらにやってきて、気がつけば自分が壇上でマイクを持つ機会が増えていた。
最初は発表をさせていただき、ご批判を仰ぎご指導を賜るというスタンスでよいのだが、だんだんと講演ということが増えてゆく。人前でお話をする機会が増えるにしたがい、会場が大きくなるにしたがい、2つのある危機感が出てきた。

  私のような若造が発表して、ヒトに影響を与えることが出来るというのは少し傲慢かもしれない。いつも思うのだが、会場で私の話を聞いている中には自分より人格的にも技術的にも経営的にも優れた歯科医が数多くいるはずである。「そんなことは もう自分はすでに知っていて行っている」とか、「もっとよいやり方があるのにその程度で発表するかよ」と思いながら反論したり意地悪な質問もすることなく、静かに聴いて会場を後にしている人が必ずいると思ってよい。
そんな中で、壇上でなにかえらそうに発表するのは第3者として上から俯瞰すると自分の姿は大変滑稽である。皆さんから一応 賛辞の言葉はいただけるが、見方によっては今テレビで流行の「おバカキャラ」である。話し方次第では聴衆すべての反感を買わないとも限らない。いくつになっても謙虚さが必要であると思う。

 そして、最も恐れるのは、過去の自分がそうだったように、中には純粋に勉強したいと思い、自分の技術向上に燃えている 若い先生もいて、そのような先生には少なからず影響を与える可能性があることである。彼らは壇上の演者の言葉を聞き漏らすまいと必死にメモを取っている。そういう住人も若いときはそういった中の一人であった。そのようなまじめな先生に誤った情報を与えるのはもちろん、誤解を与えてしまったり、こちらの意に反する理解のされ方をしてしまうのは問題である。

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長谷寺仁王門

 自分が間違っていても、自分の病院だけでは被害は限局的であるが、マイクを持つスピーカーが誤った情報を流すと多くの患者さんが迷惑することになり、被害は甚大になる。
日本は言論の自由が保障された国である。そして古より「君子豹変す」というが、やはり人前で話す者には重い責任が存在すると思う。
自分の発言が誤っていたことをいちいち取り消して回る行脚はできない。

  わが国でマイクを握って講演している先生の多くは、海外での知見を誰よりもいち早く入手し、紹介する。紹介している本人は「どこの何某がこういうことを言っている」といったスタンスで発表し自分への責任を切り抜ける。発表のあと、海外の知見が変わった時には悪びれることなく、世界が変わったと紹介する。
自分の臨床を紹介するような先生の場合、聴衆はその先生の臨床に取り組む姿勢などからその発表の信憑性を判断する。
日本では智だけでなく、情と意を兼ね備えた人格者でなければ、聴衆は信用しない。
住人は責任ある発言をするにはまだまだすべての修行が足りないのだが、年齢的に若気の至りでは済まされない歳になった。
口は災いの元にも幸福の元にもなりうるので、人前で話をしたり、このようなブログでの発言でさえ十分注意が必要であると痛切に感じる。

奈良総本山・長谷寺


タグ:真実 歯科 講演
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