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先祖返り物語 [エッセイ]

 昔あるところに一本国という小国がありました。そのイェード時代からお話を始めましょう。
一本国は長いこと鎖国をして、海外との交易を最小限にしていましたが、貧しいながらもなんとかみんな戦争もなく生きていました。
ところがある時マメリカ国の船が来航し、一本国に開国を要求して来ました。そのころ一本国の周囲の国はみな列強国の植民地にされており、一本国も属国にされる恐れがありました。
一本国は世界的にもまれな無血クーデーターにより政権交代を行い、今まで騎士団が政権を持っていたのを太古から続く系譜の王様にお返しして、体裁として議会制民主主義国家を樹立しました。

DSC_7250 (Small).JPG室生龍穴神社
奈良県宇陀郡室生村室生1297

http://www.max.hi-ho.ne.jp/stan/gazo/gnr_ryu1.htm

 そのころの一本国は第2次産業が興りつつあったものの(イェードは世界最大規模の人口を擁した大都市でした)、大部分はお百姓さんでした。農村はその地域の政治経済を束ねる庄屋と庄屋から土地を借りて農業を行う小作農で構成されていました。この小作農の人たちは多少は搾取されていましたが、昔から一揆などで時の権力に抵抗したり、西洋の貴族と農奴の関係とは全く異なるものでした。
一本国民はイェード時代以前より培われた勤勉で道徳性の高い国民性を生かし、富国強兵策をとり、独立国として存続することが出来ました。
その頃の一本国の労働環境は 庄屋と小作 財閥と職工や事務職員、商店と奉公人の丁稚ドンと言った関係でした。確かに女工哀史や蟹工船のような労働環境もありましたが、このころ人口は急激に増えたのですから、少なくともその前の貧しい時代(食べられずに間引かれていたらしい)に比べれば徐々に豊かになったのです。
 ダイショー時代にはデモクラシーの風が吹き、自由な空気に浸ることが出来たのですが、徐々に政治が腐敗し、しかも世界恐慌に起因する不景気が襲ってきて、国民に閉塞観が充満してきました。
この頃は他の列強国もまだ植民地政策が続いていましたので、一本国政府は国民の目を海外に向けさせ、閉塞観を打破しようとしました。ところが、一本国の周囲は他の列強がすでに押さえており、一本国の海外進出を快く思わないため、(自分たちのことは棚に上げて)侵略だとして、一本国を経済封鎖により締め付けだしたのです。
このマメリカがよく使う手段にまんまと乗って戦争を始めてしまったのです。戦前より一部の軍部などは勝算がないことを理性的に把握していたのですが、一本国民の悪い癖で、思考停止に陥ってしまいました。

 開戦当初(多少の言論統制はあったものの)はマスコミや多くの国民が、色めきだって歓喜したのです。(国民はマメリカ国の真の国力を理解していなかったのは いたし方ありません。勉強してなかったのですから)
国力の差はいかんともし難く、精神論で太刀打ちできる相手ではなかったので、当然戦争には負けました。
 一方マメリカにしてみれば、こんな小国がこれほど抗戦するとは思っていなかったので恐れを抱きました。一本国民のような勤勉さを含めこのような精神構造の国民が自国にはいなかったからです。この原因を一本国の王様制度や教育、文化に求め、二度と立ち直れないように、そしてそのころマメリカ本国ですら実現してなかった、自由と平等の左翼系民主主義の国に一本国をしようと考えました。そのためにまず占領軍がおこなったのが農地解放と財閥解体でした。占領軍にしてみれば日本の小作農を農奴と勘違いしたのではないでしょうか。
 しかしながらマメリカの思惑は見事成功し、一本国と一本人を解体することに成功しました。耕地面積の小さな農家はマメリカの大規模経営にとても太刀打ちできません。それどころか、一本国の気候、風土に根ざした農業は解体されました。国民はドナルド・マックのファーストフードに代表されるマメリカ文化のとりこになり、一方で、古来の食品である味噌や納豆を作るための大豆さえも自分で作れなくなっていました。マメリカの国家戦略にまんまとはまりっぱなしなのです。

 戦後一本国の周囲でマメリカが反体制派とおっぱじめた、チョー戦争やペット南無戦争の軍需景気で一本国は経済的に豊かになり(勤勉な国民性が残っていたので)焼け野原から立ち直ることが出来ました。一方、一度は一本国から軍備を奪ったマメリカでしたが一本国を自国の盾にするためと戦費をうかすために「何かあったらマメリカが助けてあげるけど、自衛軍くらいは持ったら~。」と一本国を再軍備させたのです。この地域における共産主義勢力の拡大によりマメリカの占領政策は180度変わったのです。一本国民はマメリカのこの変わり身の早さには困惑しましたが、経済的に豊かになったのであまり深く考えませんでした。「マメリカが守ってくれるなら(守ってくれるものと思い込んでいるところが、お人よしです。)経済的で、血を流すこともないしサイコージャン。」と喜びました。

 確かに一本国の商工業は眼を見張る発展をしました。バブルに浮かれた良い時期もありました。で、気がついてみると、いつの間にか、工業も商業も主に外資の大規模経営の独占状態のようになっていました。それはマメリカの推し進めた市場原理主義によってお金持ちが勝つ世の中になったからです(共産主義は人類には向かないことがそれ以前に実験証明され崩壊していた)。採算の合わない農、魚業を捨てて農、魚民は都会に出たために農、魚村は荒れたい放題に荒れました。自国の食料は自給できないのに安い海外の農産物をみんな喜んで買いました。

 都会も景気がよいときは良いのですが、ちょっと景気が悪くなると底辺の労働者がまず職を失います。都会に出た人たちの労働力は商品として安く買い叩かれました。、自由な空気に浸ることは出来るのですが、徐々に政治が腐敗し、しかも世界恐慌に起因する不景気が襲ってきて、国民に閉塞観が充満してきました。よくよく考えてみるとマメリカの船がイェード時代に来航して以来、マメリカに振り回されっぱなしなのです。

 気がついてみれば、戦争前の労働状態や生活環境に戻っていました。いや、ご主人と丁稚ドンの関係、和を尊び、思いやりの心があった頃と比べて、もっと悪化したかもしれません。
 それは互いに経済的に、心理的に余裕がなくなったからです。日本にはどんなにひどい仕置きでも「村八分」であり、「村十分」はなかったのです。さらに悪いことに一本国民が戦前には持っていた、日本古来の風習、伝統や宗教に根ざした生活様式、道徳観やプライスレスの美しい国土を失い、人口もだんだん減ってゆきました。戦前どころか、遠い昔のおサルに先祖返り(注1)していたのでした。そのことに「おバカキャラ 」の出演する番組をみて喜んでいる一本人は気付いていませんでした。  とさ。

以上は住人の初春の夢物語です。これが夢でありますように。今年もよろしくお願いいたします。

                      住人

注1)先祖返り【せんぞがえり】
ダーウィンの進化論で有名ですが,普通では現れない,その先祖のもっていた形質が出てくること。スイートピーの系統の違う白色花を交雑すると,原種の紫色の花をもつ子が現れることがある。これはスイートピーのように二つの白色花系統がそれぞれ場所の異なる突然変異で原種から生じたものの場合,交雑により原種がもつ補足遺伝子の組合せができたからである。


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